幼少期のおもひで・ポストの中の不協和音

私が幼少期の頃は各家庭で取っていたであろう[新聞]勿論私の家でも新聞を取っていました。 私もいっちょ前に新聞を読んでました。小学生の私が何を見たいかと言うと、 近所のスーパーの折込チラシ、TV欄、野球の結果、選手の打率順位なんかも見ていました。 晩御飯の時に誰かしらから[新聞取って]と言われて渡せば、見るのはTV欄。 TVに近い人がガチャガチャと言われたチャンネルに回す。 我が家では、年功序列でチャンネルの権限がありました。 見たいチャンネルで兄弟ケンカが始まれば、怒られるのは下の者。 なので、観たくもない火曜サスペンスが始まると(母がいつも見る)布団の中に潜り込み、 お気に入りのプロレス百科辞典を読んでいました。 学校が夏休みになれば、 社説の感想文を毎日書くという今では考えられない宿題がありました。 そんな新聞ですがここ二十年で売り上げ部数が約一千五百万部減少しているみたいです。 スマホの普及、テレビ欄が必要ないなど、減少の理由は色々あるのでしょう。 そんな我が家では当時産経新聞を取っていました。 毎朝新聞を取りに行くのは私の役目で、役目と言うかただ、選手の打率表を見たいだけだったのです。 前日、ひいきにしているチームの勝敗は分かっているんです。 勝敗は勿論大事ですが、何しろ選手の打率表が気になっていました。 順位が日々変わるのが面白く、毎日順位を追っていましたね。 そんなある日、ポストに新聞が二誌入っていました。 当時はそんなに裕福な家庭ではない事は幼少期の私でも分かっていたので どうしたのかと母に尋ねました。 [親戚のおばちゃんに頼まれて三か月の期限付きで購入したの]と言っている。父の姉に あたる方でしたが、言っている意味がまだ小学生の私には理解出来るはずがありません。 それが、翌月は三誌に増えていたのです。 勿論母に聞きました[三誌ポストに入ってんだけど、配達の人が間違えたのかな?] [ああ~従妹のおじちゃんに頼まれて購入したのよ]母の弟にあたる人だ。 当時はこれもよく理解できなかった。 基本僕は産経しか開かない。 なぜなら後輩に当たる二誌は折込みチラシがあまり入っていなかったのと、 読み慣れてないので見る必要が無かった。 後輩達は晩御飯が始まるまで誰も開かない、もしくは私がポストから持って来なければ、 ポストに入りっぱなし。そんな日もありました。 そもそも読むために取っていないのだから放置されていても仕方あるまい。 いつしか野球への興味もなくなり、さらに新聞自体にも興味が無くなっていった さてさて後輩二誌についてなんですが、大人になり色々と理解出来るようになると、 とんでもない事をしていたのだと分かりました 後輩のうちの一誌が聖教新聞。言わずもがなですね。 なるほど、おばちゃんは学会員だったわけです。かといって我が家が勧誘されたとかは無いんですが、 せめて新聞だけでも取ってくださいってとこですかね。 これ、40年前位はよくあった話だと思います。 もう一誌が赤旗。今思えばどんな状況ですかって。 集金日が一緒だったら鉢合わせですよ。お互いに会釈でもするのですかね。 当時は気にもしてなかったのですが。更に先輩の産経が居る訳ですから。 今だったら毎日か朝日も取って週刊文春を定期購読でポストに入れておけばコンプリートですかね。 我が家のポスト内は不協和音が鳴り響いていたと思う。 だがその不協和音ですら聞こえない程の笑い声と言う和音が 昭和の各家庭内では鳴り響いていたのではなかろうか。